長南先生はじつに多くのすぐれた仕事を遺された。とりわけ思い出深いもののひとつは、東京外国語大学時代に先生が手がけられていた『邦訳 日葡辞書』(岩波書店、1980)である。原典からコピーした項目をひとつひとつノートに貼り、それを丹念に調べあげ、綿密に翻訳されていた。先生の研究室の書棚に並んだたくさんのノートや、それを埋める伸びやかな筆跡がいまも目に焼き付いている。イエズス会の宣教師が編纂し、1603年に長崎で刊行されたこの日本語辞書を、先生はポルトガル語から日本語に訳された。吉利支丹語学や国語史の第一人者であった土井忠生先生や森田武先生との共同作業であった。室町時代や安土桃山時代の日本語の発音や意味、あるいは生活風俗をなどもわかるので、さまざまな分野の研究になくてはならない書物となっている。現在では日本のほとんどの大学図書館に所蔵されており、日本だけでなく、海外の研究者もその恩恵に預かっている。
この日葡辞書に勝るとも劣らない先生の大きな業績をもうひとつあげるとすれば、やはりラス・カサスの大著『インディアス史』(岩波書店、1981-1992)の全訳だろう。これには十数年の歳月を費やされた。東外大から清泉女子大に移られてからもこつこつと翻訳をつづけられ、大航海時代叢書の5冊分、合計で4千ページ近くを訳し終えられたのは退職されてから2年後だった。
その圧縮版『裁かれるコロンブス』(岩波書店、1992)のあとがきには、先生はつぎのように記されている――「インディアスの発見・征服史と自然・文化誌の両面を幅広くカバーしているだけでなく、激越な感情をあらわにして、執拗なまでに論難を繰り返しているこの特異な歴史書を、一個の文学作品としてその文体を尊重しながら、一言一句もゆるがせにしないで全訳を試みるということは、おのれの非力を顧みない無謀のきわみであった。」
しかしながら持ち前のねばり強さで、みごとになし遂げられたこの困難な事業は、「近年日本スペイン学における最大の業績である」とも評価されている。「一言一句もゆるがせにしない」という先生の執念、その翻訳の根本精神を4千ページにわたってまざまざと見せつける金字塔であることは間違いない。
とはいえ、先生がほんとうに楽しまれた翻訳というのは、やはりそうした「辞書」や「歴史書」よりも、ロルカの『血の婚礼』やヒメーネスの『プラテーロとわたし』あるいは『エル・シードの歌』だったのではないかと思う。
『プラテーロとわたし』は名訳との誉れが高く、小学生からお年寄りまでに愛読されてきた。冒頭の一節を朗読された先生の声はいまもなつかしく耳の奥で響く――「プラテーロは、小さくて、ふんわりとした綿毛のロバ。あんまりふんわりしているので、そのからだは、まるで綿ばかりでできていて、骨なんかないみたいだ…」
この詩集が主婦の友社から最初に出たのは1971年。その後に岩波少年文庫に入り、版を重ね、現在は岩波文庫にも収まっている。そのたびごとに手を入れられ、ますます質の高い翻訳にされた。2001年の岩波文庫版ではさらに、多くの注も加えられた。
最晩年の仕事のひとつ『エル・シードの歌』(岩波文庫、1998)でも120ページあまりの注を施され、スペイン最古の武勲詩を読みやすいかたちにして遺してくださった。これは先生が退職後に、何年かにわたって社会人向けのクラスで講読された成果でもある。そして亡くなる直前まで推敲を重ねられたロペ・デ・ベガの名作『オルメ-ドの騎士』も、つい先だって刊行された(岩波文庫、2007)。最期までスペイン文学に深い愛情を抱きつづけ、綿密で粘り強い、じつにていねいなお仕事をされた長南先生である。