2013年2月18日月曜日

寅さんとイエス/米田彰男著


 聖書学の専門家の手になる本である。題材は聖書のなかのイエス・キリストと「男はつらいよ」シリーズのなかの車寅次郎である。イエスと寅さん。著者は「果たしてイエスは本当に寅さんに似ているのか? この途方もない問いかけに」挑むのである。

 著者には「政治も経済も宗教も、生活のすべてが謹厳なユダヤ教社会にあって、もしイエスが笑いもしないまじめくだった男だったら、決して女性も子供も近寄って来なかったであろう」という思いがある。その説を裏付けるために聖書学の新しい知見を駆使する一方で、シリーズ四十八作を「自分の目で何度も見直し、聞き直し」たのだという。

 各章で「男はつらいよ」の場面がいきいきとした文章と実際の台本で再現され、寅さんの「人間の色気」や「常識をはみ出した者としてのフーテン性」あるいは「つらさ」や「ユーモア」について論じられる。そしてイエスについてもその観点から聖書の中での言動が検証される。

 その際、ほんとうにそれがイエスの発言なのか、それともイエスが語ったものとして誰かが加えたものなのか問題になる。だが驚くべきことに聖書学の進展により、いまでは「かなり正確にイエスが実際に語った、イエスの生【なま】の言葉を割り出す事」が可能なのだそうだ。

 著者はさらに用心深く、イエスが実際に発した言葉であれ、それがどのような状況で、どのような思いを込めて語られたかを見極めることが肝要だという。「想像力をたくましくして吟味する必要がある」のだと。

 その手本のひとつは、締めくくりに引用されるイエスと弟子ペトロとの対話だろう。イエスが日本語訳で「私を愛するか?」と三度尋ね、ペトロはそのたびに「あなたを愛します」と答える。だけど実際はそうした単調なやりとりではなかったようだ。著者は原語のギリシア語から訳してみせるが、確かにその口調にはユーモアと優しさがあり、聖書で一度も笑わないイエスとは異なった風貌のイエスがそこにいるのだ。
「北海道新聞」
2012-09-16
 

2007年12月6日木曜日

長南実先生のお仕事

長南先生はじつに多くのすぐれた仕事を遺された。とりわけ思い出深いもののひとつは、東京外国語大学時代に先生が手がけられていた『邦訳 日葡辞書』(岩波書店、1980)である。原典からコピーした項目をひとつひとつノートに貼り、それを丹念に調べあげ、綿密に翻訳されていた。先生の研究室の書棚に並んだたくさんのノートや、それを埋める伸びやかな筆跡がいまも目に焼き付いている。

イエズス会の宣教師が編纂し、1603年に長崎で刊行されたこの日本語辞書を、先生はポルトガル語から日本語に訳された。吉利支丹語学や国語史の第一人者であった土井忠生先生や森田武先生との共同作業であった。室町時代や安土桃山時代の日本語の発音や意味、あるいは生活風俗をなどもわかるので、さまざまな分野の研究になくてはならない書物となっている。現在では日本のほとんどの大学図書館に所蔵されており、日本だけでなく、海外の研究者もその恩恵に預かっている。

この日葡辞書に勝るとも劣らない先生の大きな業績をもうひとつあげるとすれば、やはりラス・カサスの大著『インディアス史』(岩波書店、1981-1992)の全訳だろう。これには十数年の歳月を費やされた。東外大から清泉女子大に移られてからもこつこつと翻訳をつづけられ、大航海時代叢書の5冊分、合計で4千ページ近くを訳し終えられたのは退職されてから2年後だった。

その圧縮版『裁かれるコロンブス』(岩波書店、1992)のあとがきには、先生はつぎのように記されている――「インディアスの発見・征服史と自然・文化誌の両面を幅広くカバーしているだけでなく、激越な感情をあらわにして、執拗なまでに論難を繰り返しているこの特異な歴史書を、一個の文学作品としてその文体を尊重しながら、一言一句もゆるがせにしないで全訳を試みるということは、おのれの非力を顧みない無謀のきわみであった。」

しかしながら持ち前のねばり強さで、みごとになし遂げられたこの困難な事業は、「近年日本スペイン学における最大の業績である」とも評価されている。「一言一句もゆるがせにしない」という先生の執念、その翻訳の根本精神を4千ページにわたってまざまざと見せつける金字塔であることは間違いない。

とはいえ、先生がほんとうに楽しまれた翻訳というのは、やはりそうした「辞書」や「歴史書」よりも、ロルカの『血の婚礼』やヒメーネスの『プラテーロとわたし』あるいは『エル・シードの歌』だったのではないかと思う。

『プラテーロとわたし』は名訳との誉れが高く、小学生からお年寄りまでに愛読されてきた。冒頭の一節を朗読された先生の声はいまもなつかしく耳の奥で響く――「プラテーロは、小さくて、ふんわりとした綿毛のロバ。あんまりふんわりしているので、そのからだは、まるで綿ばかりでできていて、骨なんかないみたいだ…」

この詩集が主婦の友社から最初に出たのは1971年。その後に岩波少年文庫に入り、版を重ね、現在は岩波文庫にも収まっている。そのたびごとに手を入れられ、ますます質の高い翻訳にされた。2001年の岩波文庫版ではさらに、多くの注も加えられた。

最晩年の仕事のひとつ『エル・シードの歌』(岩波文庫、1998)でも120ページあまりの注を施され、スペイン最古の武勲詩を読みやすいかたちにして遺してくださった。これは先生が退職後に、何年かにわたって社会人向けのクラスで講読された成果でもある。そして亡くなる直前まで推敲を重ねられたロペ・デ・ベガの名作『オルメ-ドの騎士』も、つい先だって刊行された(岩波文庫、2007)。最期までスペイン文学に深い愛情を抱きつづけ、綿密で粘り強い、じつにていねいなお仕事をされた長南先生である。

2007年10月18日木曜日

九牛なみ●『ワタクシと私』

海と鏡と風鈴
白い障子紙がふたつの世界の境目。向こう側には、果てしない夜と海が広がる。そしてこちら側には、しんと静まり返った小さな空間がある。

              夜は海が近くまで来る白障子

海の音が高まると、白い障子もそれに合わせてかすかに震える。こちら側で海の音に聞き入るのは「ワタクシ」だろうか、それとも「私」か。
海はいろいろなものをはらんでいる。過ぎ去った日々や、近しい人びとの死や、さまざまな情念や哀しみ……。
そういえば、鏡もふたつの世界の境をなす。向こうは迷宮だ。鏡の前にひとり座っていると、ふと奇妙な感覚におそわれることがある。鏡の向こうがふいにずれる。時間も空間も微妙にゆがむ。そしてそこに映しだされるのは、はたして「私」なのか、それとも「ワタクシ」なのか。

              冴ゆる夜の奥行深くなる鏡

                     ***

白い障子の向こうから押し寄せる海に、投網が打たれる。やがてその海からあがってくるのは切なさだ。むろんただの切なさではない。いや、ただの切なさかもしれないが、こちらはそれにひるむことがない。わが夏はもはや永遠に巡ってくることはなくても。

              夏は来ぬ波を忘れし貝釦

だが、白い波にもはや洗われることがなくても、「貝釦」となった貝には、まだ海も、夏も、そしてあのきらめきもひっそりと残っているのだ。それを知っているのは誰か。「ワタクシ」か「私」か。
夜が訪れると、切なさと寂しさが少しずつこの地上に降り積もる。むろん飛び立てずにうなだれる残り鴨の上にも。だが、その残り鴨にもひそかな強さがある。大げさにいえば、宇宙的な孤独感に耐える気構えがある。固く、どっしりと丸めたその姿を見ればわかるではないか。

              夜は石の重さとなりぬ残り鴨

                     ***

鏡の向こうから近しい死者たちも立ちあらわれる。そんなとき、むろん哀しみや懐かしさがこみあげる。でも死者たちの姿をほんの一瞬だけ垣間見られればよい。一瞬が永遠につながっているからだ。その仕掛けに、「ワタクシ」と「私」はすでに熟練しているのだ。

              角曲がる母の日傘を見送れり

小さな釘ひとつでもじゅうぶんだ。そこに風鈴を吊せば、澄んだ音とともによみがえるものがある。

              母打ちし釘に風鈴吊しけり
 
でも、たぶんその母親に語りかける言葉こそ、この句集の何かを突き抜けるのだろう。

              お母さま秋草活けて帰ります
 
そのときは、あんがい「ワタクシ」が「私」を抜けるときか――

              春の夢私を抜けるワタクシが